ウインドウが1つずつ固まる怪現象

 Windows 7が発売して間もなかった頃に買って今まで使ってきたPCですが、性能的にVisual Studio Communityを使うのが厳しかったり、マウス以外のUSB機器をUSBポートに差しても反応してくれなかったりで、パソコン本体を買い替えました。

 最初の数日は何の問題もなく使っていたのですが、そのうち、Firefoxが固まって動かなくなる現象が出てくるようになりました。さらに数日経過すると、Firefoxが止まった後にほかのアプリケーションも少しずつ止まるようになっていきました。止まった状態になると、ウインドウを動かすことはできるものの、閉じるボタンは反応しませんし、ウインドウの中も表示が何も変わらなくなります。Windowsボタン(旧スタートボタン)すら反応しなくなります。すべてのウインドウがいっぺんに固まるのではなく、1個ずつ固まっていくのが不思議です。

 もしかしてネットワークインターフェースの不良か何かで、ネットワークにアクセスしようとするとそのウインドウが止まってしまうのだろうかとも思っていました。スタートメニューも、裏で何かネットワークにアクセスしていて、それで止まるのだろうと思っていました。しかし、実際は違いました。ネットワークにアクセスする機能のない、自分で作ったプログラムさえも止まったのです。

 それをきっかけに「ハードディスクにアクセスしたときに止まっているんだ」と確信しました。しかし、ディスクの検査をしても何も出てこない……。

 種明かしをすると、原因はアンチウイルスソフトでした。最初からインストールされていたウイルスバスターの体験版と、今までインストール台数を余らせていたノートン先生の両方がインストールしてあったため、ウイルスのとりあいか何かで固まっていたのです。ディスクアクセスが極端に多い状況で何かしらのアプリがディスクにアクセスしようとすると、そのアプリが止まる……というわけです。ディスクにアクセスするまでは動くので、システム全体がいっぺんに止まったりはしなかったのです。

 バスター体験版をアンインストールしたら問題は何も発生しなくなりました。めでたしめでたし。

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「人の記憶や意識を完全に操れる機械」がもう存在する可能性

 人の記憶や意識を完全に操れる機械は将来実現するでしょうか。将来実現するとしたら、今すでに実現している可能性はあるでしょうか。

 私は「将来は実現する可能性があるものの、今はそのような機械は存在しないんじゃないか」と思っていました。しかし、今では「1家に1台レベルで世界中に普及している可能性がある」くらいに思っています。

 1家に1台普及というのは、携帯電話、スマートフォン、パソコンがそうであるように、本屋に行ったりテレビを見たりネットを見に行ったりしていれば、自然と存在に気付くくらいの普及度です。それに対して、「人の記憶や意識を完全に操れる機械」というのは、発明されたという話を聞きませんし、使い方を記載した本が紀伊国屋に売っていたりもしませんし、ヨドバシカメラで打っているのを見たこともありません。それでも、「人の記憶や意識を完全に操れる機械」が「1家に1台レベルで世界中に普及している可能性がある」と思っているのは、この機械は他の家電とは根本的に異なる性質を持っているためです。

 要は、「私が現実だと思っているのは本当は現実ではなく、『人の記憶や意識を完全に操れる機械』によって見せつけられている遙か昔の世界だ」という可能性があるのです。「この世界が現実の世界である」ことを証明できれば「人の記憶や意識を完全に操れる機械はまだ普及していない(それどころか全く存在しない)」ということも言えそうですが、「この世界が現実の世界である」ことなんて証明しようがないので、「人の記憶や意識を完全に操れる機械は既に1家に1台レベルで世界中に普及している可能性がある」と思ってます。

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本当に必要とされるのはナンバーワンよりオンリーワン

 昨日、TBSの「バース・デイ」という番組を見ました。空手で世界一になれた女性のドキュメンタリーだったのですが、空手部のある企業など(ほぼ?)なく、どれほど空手が得意な人も就職したら空手を辞めていくのだそうです。

 これで思いだしたのが、就職活動でよく聞かれる長所です。就職活動のテクニック本には誰にも負けない長所をアピールするよう書かれていたりするわけですが、本当は、誰にも負けない長所を持っていたとしても大したアピールにはならないわけです。それが本当に誰にも負けない長所なのか、それとも市町村で一番という程度なのかという違いなんてどうでもよいのです。

 必要なのは、その人がどういう性格をしているのか、どの部門に配属させたらいいのか参考にできる情報です。

 配属先は本人の希望を聞けばいいかというとそうではなくて、人数の調整が必要なので、技術職を希望しているけど営業職として採用する……ということが必要になったり、技術職同士でもどの部門に配属するかという判断を迫られます。

 その判断に必要なのは、1番(ナンバーワン)かどうか……ではないのです。面接などで言っていたことを参考にするわけですが、その発言内容がありふれていては参考にできません。ちゃんと本人を的確に表した内容であることが必要です。他の人と同じようなセリフでアピールすることではなく、その人の特徴を独自の、つまりオンリーワンの文章で表すことが大事です。

 オンリーワンという言葉自体は世間から認められていない感じがありますが、本当に世間から必要とされるのはオンリーワンであり独自性なのです。

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会社員になって気付いた10の真実

 ライブドアニュースを見ていたらこんなのを見つけました。

会社員になって気付いた10の真実
http://news.livedoor.com/article/detail/9667977/

1位 なんだかんだ(財閥系など)大企業は強い 276pt
2位 仕事に学歴はなんの役にも立たない 179pt
3位 頭の良さより情熱や行動力のほうが大事 116pt
4位 なんだかんだ学歴は仕事に役立つ 72pt
5位 「年功序列」は意外と合理的 69pt
6位 「終身雇用」は意味のある良い制度だった 60pt
7位 能力を磨くには大企業のほうが恵まれている 58pt
8位 旧来型の大企業は先行きが暗い 54pt
9位 能力を磨きたければ大企業の歯車になるべきではない。中小で鍛えられたほうがいい47pt
10位 「能力主義・成果主義」はたいていの場合、人件費抑制策でしかない 46pt

 Twitterで感想を投稿することもできますが、入社してもうすぐ8年にもなるとTwitterでは収まりきらないので、それぞれ書いていきます。

……といいつつ、1位については実際その通りと思う以外は特にないので飛ばしますw

 2位の「仕事に学歴はなんの役にも立たない」は、全然違います。4位にランクインしている「なんだかんだ学歴は仕事に役立つ」の方がよほど実態にあっていると思います。

 就職してからは、同じ会社の社員同士を比較する機会がほとんどです。一定以上の能力があると認められた人が採用試験を通って集まってきたのが会社ですから、その中で比較したら、学歴の差が表れないのも自然なのです。

 しかし、学歴の違いは、入る会社自体が大きく違ってきます。極端な例を挙げれば、工事現場を担当するレベルの学歴しかない人が、東大や京大と同等の仕事ができるようになることは、ほとんど考えられないわけです。この極端な違いをそのまま縮小した状態で現実が存在します。

 3位の「頭の良さより情熱や行動力のほうが大事」というのは当てはまらないと思います。実際は「頭の良さと好き嫌いの両方とも大事」といったところでしょうか。

 まず頭の良さについてですが、仕事を懸命にやったとしても、そもそも進むべき方向性を間違えていてほとんど役に立たなかったという落とし穴も結構あるもので、何をしたら良いのかちゃんと理解している必要があります。

 もう一方の「好き嫌い」が大事と書いたのは、やる気のないことをやっても仕事がなかなか進まないということです。これは、「どんな仕事でもやります」なんて主張する人にも当てはまることです。そんな人よりも、自分がどの仕事をしたいのか明確に分かる人の方が仕事もさせやすいのです。

 2位の「仕事に学歴はなんの役にも立たない」と違って、正しいのは4位の「なんだかんだ学歴は仕事に役立つ」です。3位のところで頭の良さについて書きましたが、2位と4位の話にも関わってくることなのです。ただ、学歴というよりは学力の方が重要だと思います。

 5位の「『年功序列』は意外と合理的」はその通りだと思います。たとえ年功序列制でも全員が役員になるわけではないので、成果もある程度関わってくるのです。年功序列というのは、成果を重要視しすぎることもなく、軽視することもなく、ほどよくバランスがとれているのです。

 成果主義は、成果がよいほど給与が上がるわけですが、逆に言うと、給与に困らなければ今以上の成果を挙げる意味がなくなってしまうのです。じゃあ、給与が欲しい人にとっては良いかというとそうでもなくて、成果によって給与が変わるようでは生活設計を立てにくいという問題が出てくるのです。

 成果主義がどれほど良くない制度なのかはこの本に詳しく説明されています。

http://www.amazon.co.jp/dp/4822243729

 途中で気力がなくなってしまったのでこのへんでw

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最悪の別れセリフ「もっとふさわしい人がいる」

 ライブドアニュースのトップページは端の方に「女子」という分類があり、そこには恋愛がどうのこうのという話題があふれています。たまにここの記事が目に入るわけですが、そこでふと思いだしたセリフがあります。恋愛中のカップルが別れるとき、あるいは、告白を断るときによく使われる「自分よりももっとふさわしい人がいるよ」というセリフです。男女どちらもこういうセリフを言う人はいるようです。

 これ、言っている本人とっては相手を傷つけないために選んだ言葉なのかも知れませんが、別れを告げる際に言ってはいけない最悪の理由だと思います。お前は自分にはふさわしくないのだと思いっきり罵倒しておくほうがまだマシです。

 なぜ最悪なのかというと、別れない理由になってしまっているからです。Aさんが別れようとしている人だとすると「Bさんには、Aよりももっとふさわしい人がいるよ」というセリフになるわけですが、それを言われているBさん自身は、Aさんが一番の相手だと思っているわけです。もしそのまま別れようものなら、Bさんの認識の上では誤解が原因で別れることになりますから、そうならないよう、Bさんは誤解を解こうとするわけです。

 別れるつもりでそんなセリフをいうAさんは愚かであり、迷惑であり、Aさんにとってもリスクのある別れ方です。この記事を読んだ方は、別れたいのにも関わらずこういうセリフを言わないよう気をつけていただければ幸いです。

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去りゆく日々

 ある人は「今日という日は二度とやって来ないのだから一日一日を大事にしなさい」という言葉に感銘を受けて、実際その通りにしたそうです。

 なんて立派な人なんでしょう。

 私なんかは、嫌な日が早く過ぎ去ってしまえと思います。

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局所的な騒音対策

 ふとしたきっかけでノイズキャンセリングヘッドホンを買ってきました。おおよそ3万円です。

 普通のヘッドフォンは電源を音声出力端子からとってきますが、ノイズキャンセル機能の分の電源はそれでは足りないようで、アルカリ単4電池を1本使用し、電源オンのときだけノイズキャンセルが働きます。

 実際に使用して思ったのですが、音がよく聞こえること以上に、ノイズが聞こえなくなることがありがたいです。数メートル離れたところにある洗濯機の騒音がほとんど聞こえなくなりますし、エアコンは全く動作音が聞こえないのに風が来る妙な感覚を味わうことができます。

 雑音を聞かないためにヘッドフォンをつけて、何も聞かないのはいまいちなのでテレビやパソコンの音を聞いていたりします。家電量販店で一度体感してみるといいかもしれません。

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風邪を治す薬とは

「風邪を治す薬を作ったらノーベル賞ものだ」

……なんてことをよく聞きますけど、そもそも風邪を治す薬とは一体どういう物なのだろうと疑問に思えてきました。

 そもそも薬というのはどういう物なのか考えてみると、たとえば鼻炎薬でいえば、鼻炎という症状を抑えてくれるものの、鼻炎の原因となっているアレルギーなどを治してくれるわけではありません。

 病気そのものを治す薬というのは抗生物質のような特定の細菌を殺す薬や、抗がん剤のような特定の病気を治す薬であると認識しています。

 風邪というのは症状ですから、風邪薬が症状を抑える薬であって病気を治す薬でないのは当然であるように感じます。たぶん風邪の原因となっている特定の細菌を殺す薬であれば作ることは難しくないのでしょう。ただ、そういうものができたとしても、風邪全般を治す薬ではないのだと考えます。

 一応断っておきますが、私は医者でもなんでもない素人で、しかも特に裏を取っているわけではないので、この考えで合っているかどうかは知りません。

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「魔法少女まどか☆マギカ」に見る、親切であることの愚かさ

 この作品をTSUTAYAから借りていたことは8月2日の記事で書きましたが、返却した後もシナリオが気になっていて、考察サイトや実況のまとめサイトを見ています。そういうサイトで視聴者の見解を見ていると、キュゥべえが悪魔のような奴で、さやかがかわいそうみたいに思われていますが、この見方には違和感を覚えます。

 私が初めてストーリーの序盤を見たときは、マミとキュゥべえとほむらはそれぞれ考えをもっていて、対立はしているけど3人とも正しいのだろうと予想していました。そして、さやかは自己犠牲が正しいと思っている愚か者だという印象を持っていました。実際、さやかは上条恭介を志筑仁美に奪われ、そんな所に女性を使い捨てるような下劣な男に出くわして絶望し、魔女化し、果ては仲間を死に至らしめるという多大な迷惑をかけています。

 さやか自身もそうですが、他人のために自分を犠牲にしようとする人間というのは愚か者で迷惑者です。「他人のため」というのは、自分がそう思っているだけであって本当にその人にとって良いことかどうかなんて分からないものです。実際さやかは入院中の恭介のために音楽を聞かせようとして迷惑がられています。

「情けは人のためならず」という言葉には「優しくするのはその相手のためにならないから厳しくしよう」という誤った解釈があります。正しくは「他人に対して良いことをすると自分に巡ってくるんだよ」という意味ですが、「人のためになると思ってやることも実際はただの迷惑だよ」という意味にした方が核心を突いています。

 キュゥべえも人の願いを叶えるという点では同じですが、願いを叶えることでキュゥべえの得にもなっているのですからキュゥべえは愚か者ではありません。ストーリーではキュゥべえが悪者であるかのような演出ですが、キュゥべえは人の感情が理解できないだけであって、感情が理解できないなりに説明を尽くしてもいます。都合の悪いことを隠していますが、言っている内容自体は嘘ではないのですから騙してもいません。都合の良い部分を提示されて、それが全部だと思い込むこと自体がおかしいのです。ちゃんと説明しておく義務がある場合など、説明しないことで自分に損が及ぶ場合以外は説明を省いて当たり前です。

 そして、キュゥべえはちゃんと同意を得て願いを叶えて魔法少女にしているので、それに同意しなければ特に迷惑をもたらすこともありません。自分にとって得になることをする人というのは、周りに損をもたらす人ではないのです。利害関係が一致する人の中にいたり、誰も味方につけず一人で勝手にやっていれば迷惑にならないのですから。

 これに対し、さやかは身近な人に勝手に親切にするタイプですから、身近にいるだけで迷惑です。

 もしさやかがもう少しだけでも杏子と同じように損得の分かる人間だったら、自分のためにならない、恭介の怪我を治すだけの願いなどせず、「恭介の怪我を治して恩人になりたい」などと願ったと思います。そうすればワルプルギスが来る前に魔女化することや杏子を犠牲にすることは避けられたんじゃないかと思います。

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友達とは何かを考えたら必要ないものだった

 最近はTSUTAYAからアニメDVDを借りてくるのがマイブームになっているのですが、今度は「僕は友達が少ない」を借りてきました。DVD1巻に出てくる「エア友達」という概念に衝撃を受けてそのまま最後まで楽しく見てしまいました。

 ただ、この作品は「ぼっち」に対する誤解を広めそうだなとも思いました。この作品はギャグ路線を行っていて「友達を作りたいのに作れない」状況をおもしろおかしく書いているフィクションであり、現実に友達がいない、あるいは少ない人はこういう奴なんだという話ではないと思います。「そりゃあ、現実の人は『エア友達』なんて妄想はしないだろう」……という話ではなくて、友達を作りたいという所がまず違うかと思います。

「友達がいる方が望ましいと考えていて実際に十分な人数の友達がいる」人にとっては「友達などいなくていい」という考えが想像できないようで、「友達などいなくていい」という発言はやせ我慢やツンデレだ……くらいに思っています。なんて傲慢な発想なんだろうと思います。

 他人とのつながりというのは利害関係が基本です。……なんてことをいうと「金で友達を買うのか」なんて狂った発想をする人も出てきそうですが、そういう話ではありません。物の考え方、感じ方、常識なんてものは人によって全然違うものであって、そう簡単に共感できる物ではありませんし、共感する必要もないのです。ですからそんな過干渉はやめて、自分に損害をもたらさなければそれでいいでしょ、という意味で「利害関係が基本」です。このくらいの接し方をしている相手を友達というのは違和感があるかと思いますが、これがちょうどよい距離感ですから、友達は必要ないといえます。

 ところで、「一年生になったら」という曲には「ともだち100人できるかな」というフレーズがあります。富士山の上で100人でおにぎりを食べたいそうです。100人の友達を作って100人でおにぎりを食べて、残りの1人はどこへ行ってしまったのでしょう。友達というのは恐ろしいものですね。

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«ルールは守るものではなく破るものでもなく