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一生の幸せの量は誰でも同じ?

 とあるテレビドラマで「一生の幸せの量は誰でも同じ」なんていうセリフを聞きました。月並みなセリフですが、一体これはどういう根拠で言っているのだろうと疑問に思いました。

 そもそも、幸せの量っていうのはどうやって算出する物なのでしょうか。それが分からないことには、一生の幸せの量なんて分かるはずがありませんし、しかもそれが「誰でも同じ」だなんてねつ造もいいところです。こんなことでは、iPS細胞の森口氏を批判する資格はないと思います。

 反対に、一瞬の幸せの量を求められるのであれば、積分計算すれば一生分が求まるのでしょう。積分範囲は生まれてから死ぬまでです。

 積分範囲で思いついたのですが、人生は長さも人それぞれです。長い人もいれば極端に短い人もいます。長生きしている人は、幸せの量を少しずつ使っていて、普通の人よりもその時々の幸せが小さかった人なのでしょうか。反対に、大きな病気や大きな悩みがあって、もしくは、何らかの事故で短命に亡くなってしまった人は、生きている間は他の人よりも幸せだったのでしょうか。

「一生の幸せの量は誰でも同じ」というのは、結構残酷なことを言っているような気がします。

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タラバガニはヤドカリである

 タイトルに挙げた一文をどこかで聞いた人は多かれ少なかれいると思います。「へえ~そうなんだ~」で終わるのもそれはそれで問題ないと思うのですが、中には「カニとして食べるのにヤドカリじゃないだろ」などと言い出す人を見かけたことがあります。タラバガニをカニだと信じ込むのはまあいいとしても、この根拠はひどいと思います。カニとして食べるというのは、ヒトがタラバガニをどう扱うかの話であってタラバガニ自体がどういう生物かという話ではありません。

 昔の話で「ウサギは食べるから哺乳類ではなく鳥類だ(と信じられていた)」というものがあります。ウサギを1羽2羽……と数えるのはそういう由来があったのだとか。

 今ではウサギが鳥だと信じている人はまずいないと思うのですが、まったく同じ間違いをタラバガニでくり返している人はいるわけです。ヒトがその生物をどう扱うかではなく、ちゃんと生物自体の特徴で分類できるように考え方が広まっていって欲しいなと思う今日この頃でした。

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レノア事件

「レノアって、こんなに粘り気の強い液体だったかな……?」

 ある日の洗濯をするとき、レノアの容器に入っていた液体を洗濯機のソフト仕上げ剤投入口に入れようとしたとき、上のように思いました。容器からレノアが出てくるはずなのに、出てきた液体が妙に粘ついているのです。出てきた液体の見た目や粘性はビオレそっくりなので、少しボディータオルに垂らしてみて泡立ててみたのですが、ビオレほど泡立ちが良くありませんでした。匂いをかいでみてもレノアなのでそのまま使用することに……。

 それからしばらくの間、レノア(?)を使用していたのですが、これはやっぱりビオレなんじゃないかと疑問に思い続けていました。ある日、ビオレかレノアか判定する方法を思いつきました。方法は簡単で、新しいレノアの袋を触ってみればいいのです。

 その結果は明らかでした。レノアは間違いなく、謎のドロドロ液体よりもサラサラとしていました。そして、袋に触ったときに真相が分かりました。

 レノアの袋の裏側に、新しいレノアと古いレノアを混ぜると固まってしまいますと注意書きが書かれていたのです。古い容器に新しいレノアを移すときは使い切った容器を洗わずに入れて下さい、と。店に置いてあるレノアを手に取るときも、買った後で保管しておくときも、ずっと表が見えるように置いているので裏面は一回も見ていなかったのです。

 そんな注意書きを読まなくても使い切ってから新しい液を入れているつもりでしたが、古い液が少し残っていてビオレと同程度まで固まったようです。

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