「魔法少女まどか☆マギカ」に見る、親切であることの愚かさ

 この作品をTSUTAYAから借りていたことは8月2日の記事で書きましたが、返却した後もシナリオが気になっていて、考察サイトや実況のまとめサイトを見ています。そういうサイトで視聴者の見解を見ていると、キュゥべえが悪魔のような奴で、さやかがかわいそうみたいに思われていますが、この見方には違和感を覚えます。

 私が初めてストーリーの序盤を見たときは、マミとキュゥべえとほむらはそれぞれ考えをもっていて、対立はしているけど3人とも正しいのだろうと予想していました。そして、さやかは自己犠牲が正しいと思っている愚か者だという印象を持っていました。実際、さやかは上条恭介を志筑仁美に奪われ、そんな所に女性を使い捨てるような下劣な男に出くわして絶望し、魔女化し、果ては仲間を死に至らしめるという多大な迷惑をかけています。

 さやか自身もそうですが、他人のために自分を犠牲にしようとする人間というのは愚か者で迷惑者です。「他人のため」というのは、自分がそう思っているだけであって本当にその人にとって良いことかどうかなんて分からないものです。実際さやかは入院中の恭介のために音楽を聞かせようとして迷惑がられています。

「情けは人のためならず」という言葉には「優しくするのはその相手のためにならないから厳しくしよう」という誤った解釈があります。正しくは「他人に対して良いことをすると自分に巡ってくるんだよ」という意味ですが、「人のためになると思ってやることも実際はただの迷惑だよ」という意味にした方が核心を突いています。

 キュゥべえも人の願いを叶えるという点では同じですが、願いを叶えることでキュゥべえの得にもなっているのですからキュゥべえは愚か者ではありません。ストーリーではキュゥべえが悪者であるかのような演出ですが、キュゥべえは人の感情が理解できないだけであって、感情が理解できないなりに説明を尽くしてもいます。都合の悪いことを隠していますが、言っている内容自体は嘘ではないのですから騙してもいません。都合の良い部分を提示されて、それが全部だと思い込むこと自体がおかしいのです。ちゃんと説明しておく義務がある場合など、説明しないことで自分に損が及ぶ場合以外は説明を省いて当たり前です。

 そして、キュゥべえはちゃんと同意を得て願いを叶えて魔法少女にしているので、それに同意しなければ特に迷惑をもたらすこともありません。自分にとって得になることをする人というのは、周りに損をもたらす人ではないのです。利害関係が一致する人の中にいたり、誰も味方につけず一人で勝手にやっていれば迷惑にならないのですから。

 これに対し、さやかは身近な人に勝手に親切にするタイプですから、身近にいるだけで迷惑です。

 もしさやかがもう少しだけでも杏子と同じように損得の分かる人間だったら、自分のためにならない、恭介の怪我を治すだけの願いなどせず、「恭介の怪我を治して恩人になりたい」などと願ったと思います。そうすればワルプルギスが来る前に魔女化することや杏子を犠牲にすることは避けられたんじゃないかと思います。

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魔法少女まどか☆マギカ

 TSUTAYAで劇場版を見かけたので、とりあえず1巻から借りてみました。

 願いを1つ叶える代わりに魔女と戦う宿命を負うのですが、単純に出てきた敵を倒していくだけの話ではなく、どちらかというと願いを叶える代わりに失う物の方に焦点が当てられています。

 自分が犠牲になったつもりで他人の願いを叶えて魔法少女になり、自己犠牲の精神は間違いだったと気付く人もいれば、自己犠牲は正しいと信じ続けて最後には他人に大きすぎる迷惑を掛けてしまう人もいます。

 ……という感じで、ただの子ども向けのアニメだろうと見くびっていたのですが、実際に見てみると、かなり印象が変わりました。かわいらしいイラストに反して、ストーリーは主張が強く重厚です。前半のストーリーがまるごと1個の大きな伏線になっていたりもします。ストーリーは大人こそ楽しめる内容になっていますので、気になった方は借りてみるといいと思います。

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体と頭脳と大人と子ども

体は子ども、頭脳は大人 ⇒ 名探偵コナン
体は大人、頭脳は子ども ⇒ ダメ人間
体はアダルト、頭脳はチャイルド ⇒ 変態

……って小五郎のおじちゃんが言ってた。

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ドラえもんの声優

 私は今でも、帰宅して時間に間に合えばドラえもんを見るのですが、「今のドラえもんは大山のぶ代じゃないから見ない」という意見もよく耳にしてきました。

 サザエさんに出てくるカツオの声が変わったときは何も起きなかった気がするのですが、サザエさんの声が変わったら、サザエさんを見なくなるのでしょうか。ちびまるこちゃんの場合はどうなんでしょうか。

 私は声優が誰かなんて気にすることはほとんどないので、世間がこれほど声優にこだわっていることが不思議に感じています。

 以前にドラえもんの声優が大山のぶ代だったのは、既に過去の話です。今と昔が違うなんてことを問題視してもしょうがないです。現状を受け入れる姿勢がなくて後ろばかり見ているというのはちょっといやですね。

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謎のフィギュア

 下の画像は、しばらく前にゲームセンターのクレーンゲームで取ったフィギュアなのですが、箱をすぐに捨ててしまったので何のフィギュアなのか分からなくなっています。

 誰か知っている人がいたら教えてください。……といっても、数少ないこのブログの訪問者の中に、知っている人がいるかどうか、かなり怪しいところですが。

Figure

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なぜアニメではロボットに乗り込むのか

 ガンダムやヱヴァンゲリオンなどのロボットモノのアニメがいまいち好きではありません。……というのも、そもそも何のためにロボットに乗り込むのか、遠隔操作すればいいだろうと思っていました。

 今日、歩きながらそんなことを考えていたのですが、答えが見つかりました。乗り込んだ方が操作しやすいのだろうということです。着ぐるみを着た人と、リモコンで操作するぬいぐるみとでは、着ぐるみを着た人の方が表現力豊かな動きが可能だと思われます。ロボットに乗り込むのもそのようなモノなのだろうと考えています。

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名探偵コナンを見た

 ジェットコースターのレールの上をスケートボードで走り降りてたコナン……。無茶してるなあと思いましたよ。

 コナンはいつになったら黒の組織を追いつめることができるんでしょうか。デスノートのLがコナンの世界にいれば、とっくに追いつめているのでは?

 ……というより、そろそろコナンは高校生になってもいい頃ではないかと。16歳の工藤新一は6歳の江戸川コナンとして生活していますが、現実の世界でコナンが始まってから、もうすぐ10年たつ気がします。

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コナンのシューズがハイテク化

 いつの間にか、江戸川コナンのシューズからボールが出るようになっていたみたいですね。あれは驚きました。

 コナンのシューズは名探偵コナンが始まって間もない頃からハイテクでしたが、しばらく見ないうちにずいぶんハイテク化が進んだものです。

 ただ、今でも小学生なのは変わっていないようですね。100年たっても小学生かも知れません。いや、あれだけハイテク化していけば、100年後には小学生ではなくドラえもんになっているんじゃないかとさえ思います。

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デスノート(DEATH NOTE)

 タイに行く前、暇つぶしのために読んでいたマンガです。映画化されたということは聞いていたので、いったいどんな話なのかと思い、試しに1巻を読んでみました。

 物語は、死神がデスノートを落としてしまい、それを天才の少年「夜神月」が拾うところから始まります。このノートは、誰かの顔を思い浮かべながらその人の名前を書くと、名前を書かれた人は死んでしまうという危険なものです。夜神月はデスノートを使って犯罪者を殺していき、世界を変えていこうと考えます。

 これを使えば好きなように人を殺せるかというと、そうではありませんでした。

 テレビで報道されていた犯罪者を夜神月がデスノートで殺していると、ある日、「L」と名乗る探偵がテレビに出演します。そして、突然死した犯罪者たちの共通点などから、「犯罪者を次々に殺していった人物が日本の首都圏に住んでいる」というところまで絞り込まれてしまいます。

 その後、Lが殺人犯の正体を突き止めて夜神月が処刑台に送られるか、それとも夜神月がLの顔と名前を知ってデスノートで殺すかという心理戦になっていきます。

 巧妙な作戦でお互いを特定する争いは、読んでいて「こんなに面白いマンガがあったのか」と思えるほどでした。そして、タイから帰ってきたあと、12巻の最終話まで読み切ってしまいました。「デスノート」の教科書という本まで買ってしまったくらいです。

Death note (11) Death note (11)

著者:大場 つぐみ,小畑 健
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