はやぶさと佐村河内

 未だにハヤブサについて気になっています。完全に故障しそうになりながら何度も危機を乗り越えてきたことって素晴らしいですか? マスコミがそんな風にもちあげていましたが、そこはちっとも良くないと思います。

 飛行機に乗っていて、何度も墜落しそうになりながら最後には無事に到着することは素晴らしいのでしょうか。そんなことをしていたら、乗客は恐らく減っていくに違いありません。何事もなく安全に到着することの方がよほど良いことです。

 何度か訪れた危機を乗り越えたことではなく、それらを乗り越えられるだけの機能に着目するべきだと思います。

 私には、はやぶさの取り上げ方と佐村河内氏の問題の取り上げ方は共通していると感じます。佐村河内氏の場合も、音楽そのものを気に入ったらCDを買えばいいのです。実際に曲を買っておきながら、全聾の作曲家じゃないから騙されたとか訴訟を起こそうというのはどうかしていると思います。

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平成8年度学校祭の冊子

 保存しておいても何の役にも立たないものですが、私はいまだに中学校の学校祭の冊子をもっています。学校祭のタイトルは「We can do」。冊子の一番上には「平成8年度」なんて書いてあります。これがその冊子です。白く塗りつぶしてあるのは学校名が書かれている部分です。

We_can_do

 この頃はアトランタ五輪女子マラソンで有森選手が銅メダルをもらい、「自分をほめたい」と発言した頃です。学校祭の頃、体育館には有森選手が大きく描かれた看板がありました。

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シンデレラの靴の魔法はなぜ解けない

 シンデレラにかけられた魔法は12時になると解けてしまいます。たとえばカボチャの馬車はただのカボチャになってしまいます。しかし、どういうわけかガラスの靴は残り、靴の大きさが合う人を捜すことになります。このあたりが何となくご都合主義のような感じがします。しかし、物語に書かれていないだけで、実際には何か合理的な理由があるのかも知れないと思い、その理由を推測してみました。

 まず簡単に思いつくのは夢オチです。カボチャを馬車にする魔法をかけられたのではなく、魔女の魔法で夢を見せられただけだったと仮定すれば、「ガラスの靴があとに残った夢」を見たということで説明がつきます。

 もうひとつ考えられるのは、本当は魔法が解けていたことです。カボチャに魔法をかけるとカボチャの馬車になったり、ボロい服に魔法をかけるときれいなドレスになったりします。同じように考えると、ガラスの靴はきっとシンデレラのボロ靴に魔法をかけて作ったものです。魔法が解けても靴であることには変わりないのでサイズを調べることはできます。

 ここまで書いてみたのですが、本当はどうなっていたのか人づてに聞いて分かってしまいました。靴は魔法で作ったのではなく魔女に手渡されたとのことです。これにて一件落着。

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