「人の記憶や意識を完全に操れる機械」がもう存在する可能性

 人の記憶や意識を完全に操れる機械は将来実現するでしょうか。将来実現するとしたら、今すでに実現している可能性はあるでしょうか。

 私は「将来は実現する可能性があるものの、今はそのような機械は存在しないんじゃないか」と思っていました。しかし、今では「1家に1台レベルで世界中に普及している可能性がある」くらいに思っています。

 1家に1台普及というのは、携帯電話、スマートフォン、パソコンがそうであるように、本屋に行ったりテレビを見たりネットを見に行ったりしていれば、自然と存在に気付くくらいの普及度です。それに対して、「人の記憶や意識を完全に操れる機械」というのは、発明されたという話を聞きませんし、使い方を記載した本が紀伊国屋に売っていたりもしませんし、ヨドバシカメラで打っているのを見たこともありません。それでも、「人の記憶や意識を完全に操れる機械」が「1家に1台レベルで世界中に普及している可能性がある」と思っているのは、この機械は他の家電とは根本的に異なる性質を持っているためです。

 要は、「私が現実だと思っているのは本当は現実ではなく、『人の記憶や意識を完全に操れる機械』によって見せつけられている遙か昔の世界だ」という可能性があるのです。「この世界が現実の世界である」ことを証明できれば「人の記憶や意識を完全に操れる機械はまだ普及していない(それどころか全く存在しない)」ということも言えそうですが、「この世界が現実の世界である」ことなんて証明しようがないので、「人の記憶や意識を完全に操れる機械は既に1家に1台レベルで世界中に普及している可能性がある」と思ってます。

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去りゆく日々

 ある人は「今日という日は二度とやって来ないのだから一日一日を大事にしなさい」という言葉に感銘を受けて、実際その通りにしたそうです。

 なんて立派な人なんでしょう。

 私なんかは、嫌な日が早く過ぎ去ってしまえと思います。

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友達とは何かを考えたら必要ないものだった

 最近はTSUTAYAからアニメDVDを借りてくるのがマイブームになっているのですが、今度は「僕は友達が少ない」を借りてきました。DVD1巻に出てくる「エア友達」という概念に衝撃を受けてそのまま最後まで楽しく見てしまいました。

 ただ、この作品は「ぼっち」に対する誤解を広めそうだなとも思いました。この作品はギャグ路線を行っていて「友達を作りたいのに作れない」状況をおもしろおかしく書いているフィクションであり、現実に友達がいない、あるいは少ない人はこういう奴なんだという話ではないと思います。「そりゃあ、現実の人は『エア友達』なんて妄想はしないだろう」……という話ではなくて、友達を作りたいという所がまず違うかと思います。

「友達がいる方が望ましいと考えていて実際に十分な人数の友達がいる」人にとっては「友達などいなくていい」という考えが想像できないようで、「友達などいなくていい」という発言はやせ我慢やツンデレだ……くらいに思っています。なんて傲慢な発想なんだろうと思います。

 他人とのつながりというのは利害関係が基本です。……なんてことをいうと「金で友達を買うのか」なんて狂った発想をする人も出てきそうですが、そういう話ではありません。物の考え方、感じ方、常識なんてものは人によって全然違うものであって、そう簡単に共感できる物ではありませんし、共感する必要もないのです。ですからそんな過干渉はやめて、自分に損害をもたらさなければそれでいいでしょ、という意味で「利害関係が基本」です。このくらいの接し方をしている相手を友達というのは違和感があるかと思いますが、これがちょうどよい距離感ですから、友達は必要ないといえます。

 ところで、「一年生になったら」という曲には「ともだち100人できるかな」というフレーズがあります。富士山の上で100人でおにぎりを食べたいそうです。100人の友達を作って100人でおにぎりを食べて、残りの1人はどこへ行ってしまったのでしょう。友達というのは恐ろしいものですね。

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ルールは守るものではなく破るものでもなく

 学生の頃、ルールは守るべきものだと思ってた。

 でも実際は全然違った。ルールは破らせるものだった。

 守れないルールを作っておいて破らせておけば、気に入らない相手を選んで処罰することができる。

 それが現実のルールだった。

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エドウィンの社名の由来はDENIMではない

 雑学としてたまに取り上げられるエドウィンの社名の由来ですが、これといって決定的なものはありません。数年前にも調べたのですが、最終的にどれか1つに断定できるほど確かな根拠が得られたものはないのです。

 ネットでは最有力と思われているものが、DENIMの文字を並び替えてMをひっくり返すとEDWINになるという説です。Wikipediaのエドウィンの記事でも、これが根拠で命名したと書かれています。「江戸が勝つ」という根拠は公式情報じゃないよ……と、あたかもDENIM並び替え説が公式情報であるかのように書かれていますが、これが由来だという説も公式情報ではありません。

 エドウィンの会社情報に書かれているのは次の一文です。

そして、ものづくりへの熱きスピリットとチャレンジ精神は、「DENIM」のアルファベットを自由に並べ換えた「EDWIN」という社名にも表れている。

 DENIMという単語のアルファベットを並び替えるとEDWINという社名になる……ということが紹介されているだけで、そういう根拠で命名したとは一切書かれていないのです。なぜこれが社名の由来だと明記しないのでしょうか。

 並び替えてEDWINになることを知り、うまいこと考えた人がいたもんだとEDWINの経営者が気に入って紹介しているだけだったら、これが由来だとはいえないのです。上記の引用のような書き方をすれば、大概の人はこれが由来だと思い込んでくれますし、DENIM並び替え説が由来だと名言していないので嘘にもならず都合がいいのです。

 まあ、経営者が気に入ったというところからは推測ですが、「DENIMを並び替えてEDWINにしたことが社名の由来である」ことを否定するだけならこれで十分です。どうしてもこれを社名の由来だと言い張るのであれば、「単に経営者が気に入ったから紹介しているのではなく、本当に社名の由来なのだ」という証拠を提示して下さい。記事タイトルには「エドウィンの社名の由来はDENIMではない」と書きましたが、私が主張するのは、正確には「エドウィンの社名の由来がDENIMの並び替えだと言うことはデマである」です。

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期限と期間の違い

期限……「~日まで」「~時まで」など。終点を表す。

期間……「~日間」「~時間」など。幅を表す。

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記号で答えるべからず

 月曜日の帰宅後、久しぶりにQさま!!を見ていたのですが、こんな問題がありました。

「さ」から始まる漢字の読みを答えよ

秋刀魚
さん□

 10問のうちだいぶ簡単な方なのでこんな問題なのですが、私が気になったのは問題の難易度ではありません。

 ある回答者が「ま」とだけ書いたのですが、他の人から「全部書くんですよ」と突っ込まれていました。このとき、「ま」とだけ書くのがなぜいけないのか、その根拠が気になりました。

 そこで問題文をもう一度読み返してみると、答えるように言われているのは「『さ』から始まる漢字の読み」であって、「□に当てはまる文字」ではありませんでした。

 確かにこれなら「ま」とだけ答えるのは正しくないと納得し、問題文でこういう正確な言い回しをするのは非常に良いことだと感じました。

 逆に駄目な例としてこういう問題の出し方を見たことがあります。
※あくまで問題の「出し方」であり、問題そのものは適当に作りました。

次の空欄に当てはまる最も適切な語句を回答群から選び、答えよ。

① [  ]とは中央演算装置(CPU)に内蔵されている記憶装置のことである。

 ア 仮想記憶  イ レジスタ  ウ メモリカード  エ 主記憶装置


 正解は「イ」です。

 この出題の仕方のどこが駄目な例なのかというと、CPU内の記憶装置を「イ」と呼ぶ人なんていないのですから、「イ」というのは「空欄に当てはまる」という問題文の条件を満たしません。さらに「語句」ですらありません。したがって、「イ」が正解だとは到底言えることではなく、正解はあくまで「レジスタ」です。

 この問題について「情報処理技術者試験では、(同じような問題で)記号で答えないと罰になるよ」と言った人もいましたが、それは嘘です。

 情報処理技術者試験だと、記述式の問題のうち記号で答えるものは次のように書かれています。

「次の空欄に当てはまる最も適切な語句を回答群から選び、記号で答えよ」

 この書き方だと、空欄に当てはまるのは記号ではなく語句なので、空欄を埋めたときに意味の通る文が成立しますし、記号で答えるようにちゃんと書かれています。情報処理技術者試験では、記号でしか答えようのないマークシートの問題ですら、記号で答えるように問題冊子の表紙に書いてあります。上の例のように、記号で答えよと書いていないのに記号で答えてしまっては、それこそ不正解にするべきことです。

 それでも回答者の立場では、いかに問題の文言に逆らおうとも、記号が割り振られている以上はそれが題意だと信じて記号で答える余地も残ると思いますが、出題者としては、記号で答えさせたいにも関わらずこのような書き方をするのは出題者失格だと思います。

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生活に関係のある数学

 数学は社会人になったら使わないという印象が大きいですが、実生活に関係のあることに関しても、数学の知識が足りていないと大きく勘違いすることがあります。今回はそういう例を取り上げてみます。

 さて、本題ですが、ある病気Dがあり、病気Dを患っているかどうか99%の精度で分かる検査方法をあなたが受け、結果は陽性だったとします。

 この検査は99%の精度なので、この検査を受けると……

病気Dを患っていない人の99%は陰性、
病気Dを患っていない人の1%は陽性、
病気Dを患っている人の99%は陽性、
病気Dを患っている人の1%は陰性

……という結果になります。

 あなたは結果が陽性だったので、99%の確率で病気Dを患っている……と考えるのは計算間違いです。

 実は、ここまでの情報だけでは「陽性の結果が出たという前提で、実際に病気Dを患っている確率」を求めることはできません。

 そこで、「実際に病気Dを患っているのは千人に1人程度である」とします。この検査を1万人が受けたとすると……

病気Dを患っていない人は約1万人。このうち、陽性が出たのは約100人。
病気Dを患っている人は約10人。このうち、陽性が出たのは約10人。
陽性の結果が出たのは約110人。このうち、本当に病気Dを患っているのは約10人。

 したがって、「陽性の結果が出たという前提で、実際に病気Dを患っている確率」は10/110=1/11≒9%です。上の人数を正確に計算すると10*0.99/(9990*0.01+10*0.99)≒0.09で、やはり9%です。再検査を受けるに当たってだいぶ気が楽になることでしょう。

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エスカレーターは歩く所じゃない

 このブログでも以前にエスカレーターで歩かないように訴えたことがありますが、世間でもようやく同じ訴えを始めたようです。

JR東日本ら鉄道事業者、エスカレーターの安全利用を呼びかけるキャンペーン
http://observer.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-4035.html

 これ、どのくらいの早さで浸透していくんでしょうかね。

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注意一秒、怪我一生

 ふとしたきっかけで、「注意一秒、怪我一生」の意味を調べるに至りました。この言葉、どうやらいろいろな意味で使われているようで、ちょっとウェブで調べてみると次の3通りが出てきました。一番目が正しい意味です。

○ 注意を一秒でも怠ると、一生治らない怪我を負う。
× 注意を一秒でも怠ると、一生治らない怪我を負わせてやる。
× 注意して一秒でも待てば、一生治らない怪我を回避できた。

 私は小学生の頃、交通マナー教室みたいなものをやっているとき、教師から「一秒でも注意していたら一生の怪我を負わなくて済むんだ」と言われ、その通りの意味に覚えていました。一秒間だけ注意しても全然足りないだろうと思い、今になって調べてみたところ、意味が全く違うことを知りました。

 「注意一秒、怪我一生」なんていう、単語をただ並べただけの言葉では、間違って意味が伝わるのも不思議ではないように思います。もう少し注意してフレーズを考えて欲しいものです。

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